ヒロインが可愛い.主人公に完全同意で,完璧なものより,矛盾こそが愛しいんですよ.
絵画がキーになるファンタジーなのですが,ちゃんと最後までそのモチーフが貫かれてたのがまず良かった点です.
その後は特殊な状況下の脱獄王道展開でわくわくしたし,ヒロインの折檻シーンが完全に趣味まるだしで最高でした.
主人公の能力のデメリットが少し気になりますが,概ね設定の割にストレス展開がなく読みやすいと思います.
天然たらしな感じでガンガンヒロイン増やして欲しいですね.
さくらのレンタルサーバーでこのブログ書いてるんですが,SSHで接続したところ,OSがFreeBSDでシェルがcshだったのでやはり普段Linuxで使い慣れているbashにデフォルトを変更しました.
まずは現在使われているシェルを確認します
echo $SHELL
cshであることを確認した後にbashの在処を探します。
which bash /usr/local/bin/bash
私の場合は /usr/local/bin/bash にあったのでこちらに変更します.
chsh -s /usr/local/bin/bash
これで初期設定がbashに置き換わったはずなのでログインしなおしてみましょう.
su - 【ユーザー名】
ついでにbashの設定も変えちゃいましょう.
これは個人の好みがあるはずなのでまずは定番だけ.
.bash_profile使わない人は.bashrcにソースかけといてください.
vi .bash_profile source .bashrc
.bashrcでキホンのキ!
vi .bashrc alias ll='ls -la' alias vi='vim'
以上.
とここでvimに違和感……バックスペース使えねー!
ということで次回はvimの設定編です!
さくらレンタルサーバーマスターにオレはなる!
病的なまでに現実的な展開と人間の絶望と希望とが織り交ぜられた危険な作品です.
主人公とその親族が完全にデフォルメされたデザインなんですがそれがもたらす効果は絶大です.
というのも超絶規模の等身大感を感じる描写の数々に主人公の姿が挿入されることで,毎回ハッとするほど没入している自分に気づきました.
全く想像の外にある展開で,びっくりするほど読者にタフさを迫るのにもかかわらず,恐ろしいほどの共感を生んでいます.
特に終盤が凄まじくもうなんでそんな不幸なの!?と目を覆いました.続きが気になってしまうんですけどね!
各セリフもなんかジーンとくる事が多かったです.
すべてが交差したラスト.これが許せるか許せないのかは同じく読んだ人に委ねたいですが,ふとタイトルに戻ってなんだか穏やかな気分になる,不思議な作品でした.
とにかく読んでほしいけど,正直自意識が爆発してしまうので若い人たちは特に注意して欲しいです笑
先日,最後に読んだ電撃文庫がなんだったんだろうと『Maburi!』※で振り返ってみました.
(※宣伝:自作の書籍管理アプリです.GooglePlayストアで公開中!)
そしたらびっくり,2014年12月13日の『なれる!SE12』が最後でした.
ピーク時は毎月5~6冊は読んでいた自分からするとものすごく意外だったのでここいらで「なぜ電撃文庫を読まなくなったのか」を腰を据えて考えてみようと思いました.
前提として自分はほぼすべての本を電子書籍で買うようになって久しく,それが直接的な原因なんですが,
じゃあなんで電子書籍メインになって急に読まなくなってしまうのかを真剣に考え,その理由から色々と言いたいことをここに残しておくことにしました.
恐らくコレが最初にして最大の理由.
例えば今年の電撃小説大賞作品がいつ配信されているのかというと,5月14日です.
大賞受賞作である『ひとつ海のパラスアテナ (電撃文庫)』や金賞『運命に愛されてごめんなさい。 (電撃文庫)』などが2月に発売したことを考えれば,約3ヶ月の遅れですね.
もちろんそのくらい我慢しろよと言う人もいると思いますが,もはや自分は電子書籍ショップを”本屋の代わり”として使いっている身でありますので,3ヶ月”読みたい欲”を維持するのがなかなか難しかったんでしょう.
お金と時間があるかどうかは別として,本を買って読むという行為に辿り着くまで,2つの大きな要素があると私は考えています.
1つは単純に”読みたい欲”
2つ目は自分のアンテナ(琴線)のアツさです.
本読みの一部の方に共感していただけたら良いんですが,”読みたい欲”ってすごく気まぐれなんです.
10年前にぴくりとも来なかった作品に手を出したくなったり,急にバッドエンドが読みたくなったりなど…….
知識欲と少し似ていて,違うようなコントロール不能な感情だったりします.
そしてそれは情報収集というか興味のアンテナの熱力ともいうものと掛け算の関係に在あるんです.
例えば2年3ヶ月前に発売された本って何?と唐突に言われても絶対出てこないじゃないですか.でも今週に発売する新刊に『魔法科高校の劣等生 (16) 四葉継承編 (電撃文庫)』とか『僕と彼女のゲーム戦争 (8) (電撃文庫)』とか有るよねって出てくる可能性のほうが高いじゃないですか.
まぁ出てこない事のほうが多いんですがそれでもその時のアンテナがどれだけホットなのかと”読みたい欲”の掛け算で,本って買われて読まれると思うんですよ.
電子書籍だと本屋より顕著だと私は考えています.
本屋だと目の前の実物がビンッビンッに”読みたい欲”を刺激するというか物欲にそのままダイレクトアタックだし,アンテナで引っ掛ける手間もなく目の前に存在するその事実でアツアツになるじゃないですか.
電子書籍はクールです.それが良さでもあります.読みたいと思った10秒後には読めるくらいアンテナ熱量いらないんですよね.
そんなこんなで脱線しかけていますが,ようは電撃文庫に対しては興味アンテナが3ヶ月で冷めちゃうんですよ.
で,冷める(覚める)とどうなるかって言うと完全に”気まぐれな読みたい欲”まかせになっちゃう.もしくは”アンテナの再活性待ち”になっちゃうんです.
アニメ化決定!とか,誰其が読んだとか,話題になってるとか……いろいろな要素でアンテナは再活性するんですが結局はそんなもんです.
個人的にコレもかなり気になっています…….
支倉凍砂先生の『WORLD END ECONOMiCA (1) (電撃文庫)』をいつ読めるのか?と不安に駆られたりする.けど次の日にはアンテナが冷めてケロッとそのことを忘れる.
忘れたまま3ヶ月が経過する……みたいな感じですね.
当たり前なんですが,ライトノベル読みとしてすべてのレーベルに手を出している以上,電撃文庫を読まなくても十二分に市場から潤沢なエンターテイメントを摂取できます.
いやコレあえて書いたのは,自分的には意外にこの事に気づくために結構時間がかかったことです.
中学生からライトノベルって読んでるんですが,高校生の時なんかは「電撃文庫読んでないとかほんとにライトノベル読みなの?」って半ばホンキで思ってました.
よく考えるとどうってことはないですね.
読んでなくても問題はないし,好きなモノ,好きな時に,好きな場所で読めば良いですから.
と,こういうツッコミが来るのは重々承知なのですが,
本屋行く習慣ホンットなくなりました.
高校,大学時代の自分には想像できないかもしれません.
「電撃文庫読まなくなった」よりも「本屋いかなくなった」のほうがよほど自分の中ではショックがデカかったです.
ショックのあまり「え、いやまさかそんな……なんだかんだ言って行ってるやろ……?」って自問自答しましたよ.
でも覚えている限りで最後に本屋行ったのは恐らく去年の暮れです.
(いや無意識に行っているかもしれない……とまだ自分で認めたくないレベル……)
技術書や他の雑多なものなどもamazonで買うようになりました.コミックとライトノベルはいわずもがな.
電子書籍とamazonがもたらしたものにすがりついています.
(少なくとも自分にとっては)読みたい欲とアンテナ熱は,”利便さ”に負けました.
自宅から(もしくは最寄りの駅から自宅の方向へ)徒歩1分の距離に本屋がある人にはこの気持ちがわからないかもしれません.
とにかくありとあらゆる場所,時間が自分にとって読書を楽しむ場所になりました.
わざわざ家とは反対方向に往復15分かけて本屋に行く必要もないし,本を吟味するのも全部インターネットで済ませるようになりました.
その時間を全て読書に当てるようになりました.
究極的に言えば,
本を消費するためのための時間は,本を消費するための時間に負けます.当たり前です.
あ,またポチった.
このエントリを書いている間に,「蒼鋼の冒涜者 (HJ文庫)」を買いました.
このエントリを書こうと思いあたった昨日は,MF文庫Jがほぼ全品30%オフなので大人買いしました.
全て15秒の出来事です.
かなりの駄文になった気がしますが,少しでも共感する方や,いやいやまだまだそのレベルじゃねーよと思ったいただけたら幸いですね.
しかし自分でも信じられないです……本当に信じられないでしょうが,一昨年までは電撃文庫は年間50冊近く購入していたんですけどね…….
ちょっと前まで(去年の終わりごろまで)は「本屋に行く唯一の理由は電撃文庫を買うため」って飲み会とかで友人に言いまくってたのですが.
私みたいな人が増えると何が起きるんだろうとワクワクドキドキしてます…….
りここ